賀茂 真淵 かも の まぶち
   

都伎能宇多与美个留津以天爾
阿賀太居 真淵
安伎能夜乃 保可良本伽羅登 阿万能波良
天類都伎可計爾 雁鳴和太留
つきのうた よみけるついてに
あがたい 真淵
あきのよの ほがらほがらと あまのはら
てるつき かげに かりなきわたる
月の歌 詠みけるついでに
県居 真淵
秋の夜の 朗ら朗らと 天の原
照る月影に 雁鳴き渡る     九月十三夜県居にて (五首)の一首
県居(あがたゐ)=田舎屋敷というほどの意。真淵邸をさす。宝暦十一年秋、日本橋浜町の新居に移り、ここを県居と呼んだ。
朗ら朗ら=はっきりしているさま。
52p×41.5p

元禄10年3月4日(1697年4月24日)生〜明和6年10月30日(1769年11月27日)歿
 江戸時代中期の国学者・歌人。遠江国(静岡県)敷智郡浜松の人。岡部氏。真淵は出生地の敷智郡にちなんだ雅号で、通称は三四のち衛士、名は春栖、淵満などで、晩年の田舎風の住居にちなみ、県居と号した。本家は伊場村の賀茂神社の神職で、その遠祖は京都上賀茂神社の社家に繋がり、勅撰歌人の賀茂成助が出た名家である。
 荷田春満に師事し、江戸に出て、八代将軍徳川吉宗の次男、田安宗武に仕えた。真淵は、「万葉集」を研究し、万葉風の和歌を復興した。真淵は、契沖の実証性と春満の思想性を受け継いで、荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされ、その門流を「県居学派」、あるいは「県門」と称した。真淵の著述は、『冠辞考』、『万葉考』、『にひまなび』など、語学・古典研究・歌学・思想・歌文集・雑録など87部309巻もある。
 また、真淵は本居宣長をはじめ、“県門の四天王”と呼ばれた、橘千蔭、村田春海、楫取魚彦、加藤宇万伎等、多くの優秀な門人を養成した。
 箱書きは本居大平。署名はないが、大平からの手紙が同封されている。
 また、包紙に「明治四十三年三月六日於美術倶楽部入札會購入」とある。美術倶楽部とは明治四十年の設立以来百年間に渡ってあらゆるジャンルの美術商の活動の拠点でありメッカともなっている現在の東京美術倶楽部。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%9C%9F%E6%B7%B5
http://www.mabuchi-kinenkan.jp/history/
https://kotobank.jp/word/%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%9C%9F%E6%B7%B5-15860
http://pddlib.v.wol.ne.jp/photo/shinagawa/mabuchi.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mabuti.html
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/bunkazai/culture_art/mabuchi/mabuchijinbutu.html
http://www.hamamatsu-books.jp/category/detail/4e5c374d9963e.html


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